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維新伝心 ~校長室より~

小判校長の教育論

本校の教育理念を基盤とし、そこから発する校長の教育論は、毎日学校全体に響き渡っています。
このコーナーは、その一部を紹介していくコーナーです。

平成27年1月7日(水)

2015年01月07日

今年はじめての全校集会、生徒達のすがすがしい姿かたちに、もしかしたら・・・・・。自分の老いを疑ってみたりする。

学園は生徒達のぴちぴちしたエネルギーで活性化する。
みんないい顔をしている。初詣でのおみくじのはなしに矛を向けると、半吉だったという生徒がいたから、自分はいいのが出るまでひくよと言った。生徒達はあきれた顔をしていた。

人は何かに頼って生きている。ほとんどが信頼できる、例えば親とか兄弟とか、夫とか妻とか、恋人とか友達とか、先生とか・・・・・。自分の近くのまわりの人に違いない。人に支えられて生きているというのは、こういうことだろう。だから、この支えがなくなったら生きる力がなくなってしまうのも当たり前のこと。
でも、この支えがなくても、生きていけることは出来る。この支えを自分がやればいい。
〝おのれこそおのれのよるべ〟
と言うのは、こういうことだ。
でも、でも、自分一人で生きていける訳ではない。
人には情がある。最近、この情のない人間が増えて来ている。朝から晩までパソコンとにらめっこしていたら、情が枯渇してしまう。
目の前にいる人にメールを送りだしたら、もう人間社会ではなくなってしまう。
人を物のように扱い捨ててしまうことを平気でやってのける今の時代に我々は生きている。人は物ではない。少なくとも動物でありたい。できれば人らしく生きてみたい。

平成27年1月5日(月)

2015年01月05日

あけまして
おめでとうございます

12月31日と1月1日、
たった一日の違いがこうも人の心を一新させるのか。

おかしなもので、大晦日と正月の町の風景が違う。

あわてて新しい自分を探す。でも、どこにもない。焦って初詣に行く。
でもおみくじは末吉。
もう一度ひく。今度は吉。
欲が出る。また手がのびる。

ああ、確固たる自分がほしい。

66歳になってまだうろうろさ迷っている。

もう一人の自分。

ぱらぱらと、小雪が舞い散る雲の合い間から姿を見せる初日の出。

思わず合掌。

これが新年。自分を見つけるいいチャンス。
何かにチャレンジするいいチャンス。

お宮で、お寺で手を合わすのも、そういうことじゃないのかな。

66歳の神様を拝んでいる。

合掌

平成27年12月25日(木)

2014年12月25日

生徒達がいなくなった学校は蛻の殻です。
チャイムも止まり、生徒達の叫び声も椅子を引きずる音もなく時間が止まったようです。

一年間、うそのように平穏な毎日でした。校長室での申渡しもなく、
「ほんとか?」
と教員を疑う有様。
「ほんとに何もありません。」
何もないことのすばらしさ。平平凡凡たる日日のありがたさ。

めでたさも 中位なり おらが春  (一茶)

中位で生きることがいかにむずかしいことか。ついつい背伸びして、頭をぶつけてしまう

生徒達には、彼等の土俵の中で相撲をとってほしい。
決して、となりの土俵をうらやんだり、となりの土俵をばかにすることなく、自分の土俵で地道に相撲をとってほしい。

名残を惜しみ 花を見返す 暮の鐘

私の見たことのない祖母の句で、俳句大会で天位入賞した句である。

ことしの自分にとって名残って何だろう。
ああもしておけばよかった。こうもしておけばよかったという後悔をする暇もなく、あっという間に月日が吹っ飛んでいった。
だから見返す花もなく、あるとすれば、年を越し、来年の春、たくさんの新入生達で賑わう我が学園の風景くらいかな。

鐘を聞きつつ、はやる気持ちを抑えながら年越しそばを啜ることになるだろう。