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維新伝心 ~校長室より~

小判校長の教育論

本校の教育理念を基盤とし、そこから発する校長の教育論は、毎日学校全体に響き渡っています。
このコーナーは、その一部を紹介していくコーナーです。

暦が駆ける

2015年02月14日

後期のスクーリングA日程も終え、第二次入試が今日終わった。119
その間、中学や高校からのお客さんや、学校見学の保護者もみえられ、まさに光陰矢のごとしだ。

校長の仕事は、現場を活性化させること。
教職員を怒鳴り散らすことも多多あるが、禅林ロケットを打ち上げるための起爆剤と思っているが、やられる方はたまったもんじゃないことは百も承知、後になってわかればよいこと。

生徒はと言うと、彼等の本領の上に被さっている枯れ葉の透き間から本領をのぞかせた時、それに点火する。
それが我等教師の役目。
一旦点火された本領は消えることはない。

そして、今日は、入試。
朝一番、控室におられる付添いの保護者の方に、子供達の良さに目を向けませんかと言うはなしをさせていただきました。

雲の上にある太陽は見えません。
まして、雨や雪の降り頻る空に太陽など想像できません。
でも、あります。
もし、諦めてしまい、そこから目を逸らしてしまえば、それまで顔をのぞかせた太陽に気付くことはないでしょう。
しかし、じっと太陽を待っていれば、やがて必ず一筋の光が射して来るのです。
その機をのがさず、点火する。
それが周囲にいる大人の役目、なかんずく我々教師の役目です。と言うような偉そうなことを話しているうちにいくらかは保護者の皆様に伝わったような気がします。

原石は精錬され、やがて自らの輝きを見せはじめます。

来週から、スクーリングB日程がはじまります。

 

平成27年1月23日(金)

2015年01月23日

168朝9時。
本校の広場でマラソン大会の開会式がありました。
校長の仕事は生徒達に10kmを完走する気力を与えることです。
マラソンはまさに人生そのもの。
あらゆる障害を乗り越え、自分を励ましながら走り続けるには、粘りのある身体と心がなくてはなりません。強い身体と心ではありません。粘りです。瞬発力ではありません。乱れない身体、乱れない息、乱れない心です。速さではありません。自分のペースを知り、走り続けること。このことが一番大切なことです。

専門学校禅林学園 高等部の三年生は last runです。
でもこれからの人生の助走路でもあります。
希望と夢と天分開花の助走路でもあります。

閉会式11時。
一人も歩く者がいませんでした。あっぱれ !! 禅林の生徒達 !!!
完走賞を全員に授与。人生はタイムトライアルではありません。

三年生は最後の学校行事が終わりました。授業終了です。

〝感無量 生徒達の 目に涙〟

二年生の皆さん、来年ですぞ !
一年生の皆さんは再来年ですぞ !

平成27年1月7日(水)

2015年01月07日

今年はじめての全校集会、生徒達のすがすがしい姿かたちに、もしかしたら・・・・・。自分の老いを疑ってみたりする。

学園は生徒達のぴちぴちしたエネルギーで活性化する。
みんないい顔をしている。初詣でのおみくじのはなしに矛を向けると、半吉だったという生徒がいたから、自分はいいのが出るまでひくよと言った。生徒達はあきれた顔をしていた。

人は何かに頼って生きている。ほとんどが信頼できる、例えば親とか兄弟とか、夫とか妻とか、恋人とか友達とか、先生とか・・・・・。自分の近くのまわりの人に違いない。人に支えられて生きているというのは、こういうことだろう。だから、この支えがなくなったら生きる力がなくなってしまうのも当たり前のこと。
でも、この支えがなくても、生きていけることは出来る。この支えを自分がやればいい。
〝おのれこそおのれのよるべ〟
と言うのは、こういうことだ。
でも、でも、自分一人で生きていける訳ではない。
人には情がある。最近、この情のない人間が増えて来ている。朝から晩までパソコンとにらめっこしていたら、情が枯渇してしまう。
目の前にいる人にメールを送りだしたら、もう人間社会ではなくなってしまう。
人を物のように扱い捨ててしまうことを平気でやってのける今の時代に我々は生きている。人は物ではない。少なくとも動物でありたい。できれば人らしく生きてみたい。

平成27年1月5日(月)

2015年01月05日

あけまして
おめでとうございます

12月31日と1月1日、
たった一日の違いがこうも人の心を一新させるのか。

おかしなもので、大晦日と正月の町の風景が違う。

あわてて新しい自分を探す。でも、どこにもない。焦って初詣に行く。
でもおみくじは末吉。
もう一度ひく。今度は吉。
欲が出る。また手がのびる。

ああ、確固たる自分がほしい。

66歳になってまだうろうろさ迷っている。

もう一人の自分。

ぱらぱらと、小雪が舞い散る雲の合い間から姿を見せる初日の出。

思わず合掌。

これが新年。自分を見つけるいいチャンス。
何かにチャレンジするいいチャンス。

お宮で、お寺で手を合わすのも、そういうことじゃないのかな。

66歳の神様を拝んでいる。

合掌

平成27年12月25日(木)

2014年12月25日

生徒達がいなくなった学校は蛻の殻です。
チャイムも止まり、生徒達の叫び声も椅子を引きずる音もなく時間が止まったようです。

一年間、うそのように平穏な毎日でした。校長室での申渡しもなく、
「ほんとか?」
と教員を疑う有様。
「ほんとに何もありません。」
何もないことのすばらしさ。平平凡凡たる日日のありがたさ。

めでたさも 中位なり おらが春  (一茶)

中位で生きることがいかにむずかしいことか。ついつい背伸びして、頭をぶつけてしまう

生徒達には、彼等の土俵の中で相撲をとってほしい。
決して、となりの土俵をうらやんだり、となりの土俵をばかにすることなく、自分の土俵で地道に相撲をとってほしい。

名残を惜しみ 花を見返す 暮の鐘

私の見たことのない祖母の句で、俳句大会で天位入賞した句である。

ことしの自分にとって名残って何だろう。
ああもしておけばよかった。こうもしておけばよかったという後悔をする暇もなく、あっという間に月日が吹っ飛んでいった。
だから見返す花もなく、あるとすれば、年を越し、来年の春、たくさんの新入生達で賑わう我が学園の風景くらいかな。

鐘を聞きつつ、はやる気持ちを抑えながら年越しそばを啜ることになるだろう。