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維新伝心 ~校長室より~

小判校長の教育論

本校の教育理念を基盤とし、そこから発する校長の教育論は、毎日学校全体に響き渡っています。
このコーナーは、その一部を紹介していくコーナーです。

流れる日日

2015年11月18日

2015.11.1811月は学校行事のオンパレード。
どれをとってみても手の抜けないものばかり。
今なお進行中。

7日の演武祭は、生徒達の一生懸命に取り組む姿勢を見ていただければ大成功。
その日の午後のオープンスクール、なぜ禅林学園なのか、こだわりの教育を知っていただくのが目的。

次の日のPTA総会では、初代の役員があっという間に決まった。残った時間、18歳選挙権について全員で話し合った。
私は大賛成。子供達の目を政治から離したのは大人達ではないのかな。勉強さえしていれば人の事、世の中の事は考えなくてもいいと言わんばかりの歴史の挙句の果てが、今の数々の教育上の問題の引き金になっているような気がしている。
選挙権を与え、大人としての自覚をさせることによって子供におきる内的変化・成長に私は期待するところが大きい。

そして、昨日、本校のSSW(スクールソーシャルワーカー)による講演会と教職員研修会があった。
教育における支援の問題が、最近急務となっている。生徒への音楽療法体験、教職員への専門領域の研修、知るということは判断する上でとても大切だということ、知らなかった怖さをつくづく思い知らされた。

まだまだ続く11月後半。
今年のラストスパートだ。

自慢の教え子

2015年09月25日

2015.9.25去る9月19日、私の自慢の教え子、江本公一君が本校の講演会の講師として来校した。
彼は今、岡山県議会議員として活躍中。
かつては、かの橋本龍太郎 内閣総理大臣の公邸秘書をした輝かしき経歴の持ち主。
橋本龍太郎をして大物と言わしめたほどの人物。

高校3年生の時、担任をした。
教師のキャパをはるかに超えていた。
とてつもない行動をとった。しかし、筋は通っていた。彼の無辺の未来を予感した。

さて、江本先生の講演は等身大のお話で、しかも潔い気質が見え隠れして、どんな湿度の高いお話もカラッと聞け、
その清々しさに生徒達は吸引されたのだろう。のみならず、我々教職員も研修会さながらのお話に時間を忘れた。
教え子のあまりの成長ぶりに感動し、おなか一杯になり、箸ならぬ筆がすすまない。

肝に命じたい

2015年09月01日

2015.9.2猛暑の夏も力尽き、秋の訪れを予感させる今日9月1日、生徒達が学校に戻って来た。
みんな元気で何より、こうして生きていれば、何でも出来る。まだ若い。先の人生を十分に使いこなせる。
という話から始まり、安保に少し触れ、政党の分裂・融合は職場や学校のいじめと一致するところがあると言うと、なぜという顔をしたので、即答、
「何もかも同じじゃないといけないと思っている。だから、少しでも違うと離れようとするか追い出そうとする。人間がわがままになっているか、弱くなっている。同じでないものを排除しようとする。よく考えてみると、人はみな違う。だからいい。人と違うから自分の価値がある。自分と違うから人の価値がある。違った者同士がそれぞれの持ち味を寄せ集め徒党を組むから強力な団体となる。今のような複雑な社会機構では似た者同士の寄せ集めには突破力が期待出来ない。」
ちょっと独断と偏見も否めないが、生徒達に自らが生まれ持っているもの、つまり、自分の持ち味、自分らしさを意識させるには、このぐらいが丁度ではないかと思い、話した。若い頃は、分からないまま悩み苦しみ、自暴自棄になるので、大人達はしっかり教えてあげなければならない。況んや教師はそれで飯食ってるプロ。打てないプロ野球選手は御祓箱、生徒を善導できない教師は?  肝に命じたい。

以心伝心

2015年08月03日

去る7月19日に実施した〝オープンスクール〟は少数ながら中身の濃い心の行き来するイベントとなった。
県外から参加した2名の女子生徒が寮生活の話を楽しそうにしていた。良き友がすでに目の前にいる。2人の心に日が射し込む瞬間を目の当りにした。 
地元から参加した二人の男子生徒は、職員がすすめる飲み物を口にもせず、直立不動で聞いている。
見たぞ、お前らの真面目さを。

その数日後、〝第1回中学校教員対象説明会〟が、現在本校に在籍している生徒の出身中学校の先生ばかりで行われたので、中高連絡会議の様相を呈していたが、それだけに何か親しみの持てるざっくばらんな会となった。
中には神戸から足を運んでいただいた先生もいらっしゃる。終わったら生徒を連れて行かれた。幸せな生徒だ。有り難いことだ。
数名の生徒にスピーチをさせた。上手いとか下手とかではなく、こうして先生方の前へ出て話をすることができるということに意義がある。

7月31日から8月2日まで実施された近畿インターハイに少林寺拳法部2年の田家(たや)が初陣を飾った。読売新聞社さんが大きな記事にしてくださった。これまた有り難いことだ。
学園に勢いがつく。
追い風に乗る。
頑張ればどんどん進む。
生徒達に少しでも多く成功体験をさせてやりたい。

そして今日8月3日、7日までの5日間、家庭独修型の生徒達の前期集中スクーリングが始まる。
開講式の話の中で、人間の対応能力、自然の対応能力の素晴らしさについて話した。困難に遭遇した時の打開力、病気になったときの自然治癒力は一生懸命になった人ほど強く働く。
でもなんとかなる。
なぜなら、こうしてみんな生きている。
今のように人と人との関係が希薄になっている時代状況の中、どれだけ人を信じることが難しいことか。
まずは自分を信じることができるかどうか。そして人を信じることができるかどうか。
自分が信じられなくても人を信じることができるかも。
助けられるより、助ける人になりたいものだ。・・・・・・なんてことを話した。

自分のことは自分が一番よく知っている。だから、どんないいことをしても、その内に潜んでいる自分のどんな小さな心の悪も自分の心は見逃さない。
そういう意味から、1996年アトランタで銅メダルをとった長距離ランナーの有森さんが「自分をほめたい」と言ったのは、すごいことだと思う。

この大会の一つ前の1992年バルセロナで銀メダルをとった時にはこの言葉はでなかった。自分を一番よく知っている自分が、自分の内に潜む小さな悪を見逃さなかったからだろう。
自分の中にある怠け心、逃げ出す心、・・・・・は自分がよく知っているから、いくらいい結果が出ても素直に喜べなかったのだろう。
普通の人なら結果が出た時点でどんな悪も吹っ飛んでしまい、満足感で塗り替えられるだろう。
しかし、有森さんは違った。ちゃんと自分をしっかり見つめていた。だから一つ下の銅メダルをとった時の自分をほめたのだろう。
すごいの一言だ。

突撃ラッパ

2015年04月25日

2015.4.25.1新年度、そして新学期が始まった。
突撃ラッパが鳴り渡る。

多度津駅、途中の通学路、正門に教員と生徒が立ち並ぶ。
他校の生徒達、一般の通勤の人達、そして、本校の生徒が通り過ぎる。

「おはようございます」
この言葉には、多くの意味が含まれている。
「がんばれよ
「元気だせよ
「自分を信じろよ
「嫌な過去は捨てろ
「未来を信じよう
・・・・・・・・・・・・。

それぞれを、それぞれの生徒達が感じながら登校する。

朝一番は一日の生命の源。
萎えかけた気持ちを奮い立たせるのも重要な働き。

ことしも、輝きを内に秘めた原石達が動き始めた。

046本日、春立てる霞の空に、新入生諸君を本禅林学園高等学校にお迎えすることになりましたことは、私ども教職員にとりまして、大きな喜びでありますと共に、大きな責任でもあります。
 今年度の入学式は、開校三年目、一年次、二年次、三年次の生徒が勢揃いする記念すべき入学式であります。
ただ今、一人一人決意を表明していただきました新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。在校生、教職員一同は、今日の日を待ち望んでいました。また、ご列席の保護者並びに関係の皆様方には、これまでのご心労をねぎらい申し上げ、心よりおよろこび申し上げます。
今日は、皆さん方を激励するために、多度津町長の丸尾幸雄様をはじめ、出身中学校や道院から先生方がお見えになっています。
また、少林寺拳法グループからも多数の方方にご出席をいただいています。皆さんとともにお礼を申し上げ、これからの皆さんの成長を見守っていただきたいと思います。

さて、新入生の皆さんは、全国津津浦浦から、志を胸に抱き、千里の道も遠しとせず駆けつけていただきました。
私立学校には、公立学校と違い、その学校ならではの強烈な個性、つまり、特色ある教育が求められています。私立学校の原点は塾であります。緒方洪庵の「適塾」も、吉田松陰の「松下村塾」も教える者と、学ぶ者とが共に必死になって取り組む教育空間でありました。本校の原点は、宗道臣先生の「日本少林寺武道専門学校」であります。
本校は、皆さんがすでにご存知のとおり、少林寺拳法の教育理念を実践する人づくりの学び舎であります。
少林寺拳法は終戦直後の焼野原から誕生しました。すべてを失い、生きる目標を失った若者たちに人としての道を教え、生きる勇気を与え、人が本来持っているやさしさを取り戻したいという本学園の創立者宗道臣先生の熱い願いが、宗由貴少林寺拳法グループ総裁、本学園理事長に受け継がれています。
禅林学園高等学校は、この創立者の志を現代社会に実現するために、今の学校教育が見落としているさまざまな学びの場を提供することにより、生まれながらに備わっている生徒達の天分を発現するものであります。

本校はしっかりとした教育的土壌の中で人が人を育てる血の通った心の教育をすれば、必ずその人本来の自分を取り戻すことができるという教育理念のもと、三つの校訓を掲げ、日日の教育の道標としています。
その一つが、その人本来の自分を取り戻す「自己確立」であります。生徒一人一人には他の生徒にない天分(持ち味)があるので、それに気づかせ、自分に誇りを持たせ、磨きをかけるという教えであります。
二つ目は、これを実現するためのしっかりとした教育的土壌「自他共楽」であります。教師の熱意や友情のぬくもりや励ましが渦巻く、人が人を育てる教育空間であります。
そして、本校がめざしている人間こそ、三つ目の強さとやさしさを兼ね備えた人間であります。最後の最後まで諦めない不屈の精神と社会の弱者から目を逸らさない“力”と“愛”を涵養する「力愛不二」の理念であります。

ただ今の皆さんの気持ちは、入学の喜びとこれからの新しい生活への不安が交錯していることと思います。中でも故郷を離れ、遠い地での生活を始める寮生と保護者の方方の心中は想像にかたくありません。
新入生のみなさん、さあ、今日からスタートです。一からスタートする人、0からスタートする人、マイナスからスタートする人と様様ですが、どうか一日も早く本学園の生活に慣れ、禅林学園高等学校生として、自分探しの第一歩を踏み出していただきたいと願っています。

  過去にとらわれず 未来にためらわず 

   一生懸命になった時 自分の本領が見えてくる

禅林学園には、すばらしい師との出会い、すばらしい友との出会いがあります。そして、すばらしい自分との出会いがあります。

最後になりましたが、保護者ならびに関係の皆様方には、禅林学園高等学校の教育方針をよくご理解いただき、学校とよく連携をとっていただくと同時に、本校の教育活動の推進者になっていただきますことをお願い申し上げまして式辞といたします。

 平成27年4月8日

  禅林学園高等学校 校長 小判繁樹

暦が駆ける

2015年02月14日

後期のスクーリングA日程も終え、第二次入試が今日終わった。119
その間、中学や高校からのお客さんや、学校見学の保護者もみえられ、まさに光陰矢のごとしだ。

校長の仕事は、現場を活性化させること。
教職員を怒鳴り散らすことも多多あるが、禅林ロケットを打ち上げるための起爆剤と思っているが、やられる方はたまったもんじゃないことは百も承知、後になってわかればよいこと。

生徒はと言うと、彼等の本領の上に被さっている枯れ葉の透き間から本領をのぞかせた時、それに点火する。
それが我等教師の役目。
一旦点火された本領は消えることはない。

そして、今日は、入試。
朝一番、控室におられる付添いの保護者の方に、子供達の良さに目を向けませんかと言うはなしをさせていただきました。

雲の上にある太陽は見えません。
まして、雨や雪の降り頻る空に太陽など想像できません。
でも、あります。
もし、諦めてしまい、そこから目を逸らしてしまえば、それまで顔をのぞかせた太陽に気付くことはないでしょう。
しかし、じっと太陽を待っていれば、やがて必ず一筋の光が射して来るのです。
その機をのがさず、点火する。
それが周囲にいる大人の役目、なかんずく我々教師の役目です。と言うような偉そうなことを話しているうちにいくらかは保護者の皆様に伝わったような気がします。

原石は精錬され、やがて自らの輝きを見せはじめます。

来週から、スクーリングB日程がはじまります。

 

平成27年1月23日(金)

2015年01月23日

168朝9時。
本校の広場でマラソン大会の開会式がありました。
校長の仕事は生徒達に10kmを完走する気力を与えることです。
マラソンはまさに人生そのもの。
あらゆる障害を乗り越え、自分を励ましながら走り続けるには、粘りのある身体と心がなくてはなりません。強い身体と心ではありません。粘りです。瞬発力ではありません。乱れない身体、乱れない息、乱れない心です。速さではありません。自分のペースを知り、走り続けること。このことが一番大切なことです。

専門学校禅林学園 高等部の三年生は last runです。
でもこれからの人生の助走路でもあります。
希望と夢と天分開花の助走路でもあります。

閉会式11時。
一人も歩く者がいませんでした。あっぱれ !! 禅林の生徒達 !!!
完走賞を全員に授与。人生はタイムトライアルではありません。

三年生は最後の学校行事が終わりました。授業終了です。

〝感無量 生徒達の 目に涙〟

二年生の皆さん、来年ですぞ !
一年生の皆さんは再来年ですぞ !

平成27年1月7日(水)

2015年01月07日

今年はじめての全校集会、生徒達のすがすがしい姿かたちに、もしかしたら・・・・・。自分の老いを疑ってみたりする。

学園は生徒達のぴちぴちしたエネルギーで活性化する。
みんないい顔をしている。初詣でのおみくじのはなしに矛を向けると、半吉だったという生徒がいたから、自分はいいのが出るまでひくよと言った。生徒達はあきれた顔をしていた。

人は何かに頼って生きている。ほとんどが信頼できる、例えば親とか兄弟とか、夫とか妻とか、恋人とか友達とか、先生とか・・・・・。自分の近くのまわりの人に違いない。人に支えられて生きているというのは、こういうことだろう。だから、この支えがなくなったら生きる力がなくなってしまうのも当たり前のこと。
でも、この支えがなくても、生きていけることは出来る。この支えを自分がやればいい。
〝おのれこそおのれのよるべ〟
と言うのは、こういうことだ。
でも、でも、自分一人で生きていける訳ではない。
人には情がある。最近、この情のない人間が増えて来ている。朝から晩までパソコンとにらめっこしていたら、情が枯渇してしまう。
目の前にいる人にメールを送りだしたら、もう人間社会ではなくなってしまう。
人を物のように扱い捨ててしまうことを平気でやってのける今の時代に我々は生きている。人は物ではない。少なくとも動物でありたい。できれば人らしく生きてみたい。