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2016年12月 維新伝心 ~校長室より~

学校は自動車教習所

2016年12月21日

 どの時代にも、その時代その時代の悩みがあったに違いない。
 でも、いつも、今の時代こそ前代未聞のピンチに陥っていると警鐘を促しているのは、それだけ自分の生きている今に執着しているということの証だろう。
 いじめは昔もあった。差別も然り。
 松本清張の「砂の器」に登場する主人公は幼い日日、故郷を追われた癩病(ハンセン病)の父親と二人、目的もなく流離った。そして、行き先先で不当な扱いを受けた。
 病気に纏わる差別。今でもある。もっと言わせてもらえば、学歴差別、スポーツ差別、学問や運動の世界にも差別はある。
 この世の中で生きることに疲れ果て、中には自らの命を自らの手で絶つ人もいる。
 〝みんな違ってみんないい〟
 と言った詩人の金子みすずさんも自ら命を絶った。
 人の世を生きるということは、苦痛を伴う。
 自転車に乗るためにかなりの練習を重ねた。自動車を運転するために自動車教習所に通った。
 しかし、人間は、生きる練習をせずに生まれて来た。だから、生きながら練習をしなければならない。
 路上で運転しながら練習をするのだから失敗した時のダメージも大きい。
 せめて、小学校、中学校までは自動車教習所でありたい。ところが学校の先生たちは、教習所の教官どころか、警察官になって生徒達をさばいてしまう。
 さばかれた生徒達は自信を無くし、中には挫折感のあまり、自棄になったり、離脱する生徒もでてくる。
 自動車教習所で、違反切符を切られ、罰金をとられたり、運転がへたくそだからといって不登校になったり、まさか自殺する人なんかいないだろう。
 学校は、人生の自動車教習所でなければならないというのが本校の教育理念であります。