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2016年9月 維新伝心 ~校長室より~

学問の醍醐味

2016年09月20日

長い間、学習が、勉強が、学問が、受験と深くつながっていたことは、早い時期に学問の本質にあこがれていた者にとっては、その意欲を削ぎ落とされたことも間違いありません。
私の誇るべき我が母校、県下の県立高校を落ちた者が集まる高等学校には、そんな愚痴も吹き飛んでしまうすばらしい先生が大勢いて、得体の知れない挫折感もあっという間に吹き飛んでしまいました。
この校風は、古く明治時代から続いており、近くは、かの有名な「財政の荒法師」・「行政の鬼」といった物物しい異名のある、また、「めざしの土光さん」と、清貧の人として親しまれ、仰がれていた土光敏夫という大人物を産みました。

高校の古文の藤光先生は、黒板に一首、美しい草書体で短歌を書き、その歌を五十分間鑑賞するという授業を展開されました。
鑑賞のための資料を広げていくやり方ではありませんでした。その三十一文字をどんどん掘り下げてゆき、作者の心の奥深くまで鑑賞眼を浸透させる授業に優等生はもとより劣等生まで度肝を抜かれました。
むしろ、受験に役に立たない、しかし、自分の生き方に触れる授業に目を輝かせたのは劣等生達でした。
また、民俗学者の地理の鶴藤先生は、地図帳だけを手にし、青白い顔して教室にやって来て、黒板に宙で書くわ書くわ。その暗記力というか、勉強力に生徒達は敬服しました。
かと思うと、はたと書く手を止め、自分の今研究している便所のはなしや夏休み、川の上流へ歩いて行くと、源流は民家の溝だったと言うような民俗学に関するはなしを熱っぽく話してくれました。

こんな授業がどれだけの生徒に学問のほんとうのおもしろさを伝えたことでしょう。
いや、それより、一つのことを掘り下げていくことの大切さと醍醐味を教えられたことは、生徒達が将来、あらゆる方面へ進んでいく上での貴重な経験となっています。