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2019年10月10日

 今から十数年間何のために専門学校で眠っていた高等課程を立ち上げたのか、今から数年前何のために高等学校を開校したのか、改めて考えてみる。

 社会というレールから食(は)み出し、行き場を無くした子供達の声なき声があちこちから聞こえて来て、それ等(ら)が私達を動かしたように思えてならない。七十歳の私が小さかった頃、人と人とがつながっていたように思う。近所には、御節介(おせっかい)なばあさんがいた。腕白坊主には灸(やいと)をすえたり、腹をすかしている子供に食べ物を与えたりした。となり近所の人達も皆助け合った。

 アニメのヒーローも困った人の味方だった。月光仮面は、スクーターに乗ってやって来た。赤胴鈴之助は真空斬りで弱者をいじめる悪党をこらしめた。呼びに行けばすぐ駆け付けてくれるお医者さんがいた。弁当のない生徒の面倒を見る学校の先生がいた。貧しいけれど、誰もが支え合っていた。

人が人にやさしかった。  

貧しいけど暖かかった。

でも、今は違う。競争社会がしっかり出来上がっている。勝者と敗者の構図がくっきり浮彫にされている。他者は協力者じゃなく敵になっている。ちょっと極論のようにも思われるが、でも、そんな気がしてならない。

 勝者にも敗者にもそれぞれの働きがあるはずなのに、そこらへんが消えているので敗者は敗者でしか生きていけなくなる。勝者が敗者を見下し、敗者はさらに敗者を見下す。そんな社会現実が学校の中でも虫食っていることは確かだ。そんな学校で生きていけない生徒達を救うには、学校らしくない学校をつくるしかない。学力だけで生徒を評価しない学校。失敗が許される学校。退学のない学校。生徒を長い目で見る学校。生徒の持ち味を見付ける学校。

 私達はそんなあったかい学校を目指した。教育の主人公は生徒だ。あったかい学校をつくるには、あったかい校則がなくてはならない。

 そして究極の目的「あったかい人をつくること」を肝に銘じたい。