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2019年04月01日

一太郎やあい

大場荘介

<あのおばあちゃん、手を上げて何してるんやろ?>

 入学式の日からずっとあの銅像があかねの心から離れない。

 教室の南窓から見上げると。山頂の一画(いっかく)に手を天に真っ直ぐに伸ばし、遠くを見やる老婆(ろうば)の銅像が鎮座(ちんざ)している。

 

 入学式の日、お互いの会話がまだぎこちない新入生達は、瀬戸内海の眺望(ちょうぼう)が開ける教室の北側の窓辺に寄って外の景色に目を遣(や)っていた。特に県外から入学して来た寮生達は、瀬戸大橋を眺めながら、来(こ)し方を偲(しの)んでいるようにも見えた。

 すぐ目の前の狭い多度津港には、出向(しゅっこう)の気配すら感じさせない煤(すす)けた島に渡る小さな客船や釣船やヨットがひしめき合っている。その向こうには大型タンカーを建造中の造船所があり、さらに沖には色色な造形の島島が点在し、その間を船舶(せんぱく)が縫(ぬ)うように行きかっていた。

 あかねは、そんな彼等(かれら)とは反対側の山沿(やまぞ)いの南窓から老婆の銅像に見入っていた。

 

 入学式の日から二週間が経(た)った。新入生達は日に日に打解(うちと)け、戯言(ざれごと)や馬鹿話が目立ち始めたが、寮生達はどことなく沈んで見える。親許(おやもと)を離れての一人暮らしは、いくら寮生活と言ってもきつい。

 あかねはこの土地、この学校、この寮が少なくとも、今まで住んでいた限られた自分の居場所より居心地のいい生活空間となりつつあった。

 朝一番、寮生の当番が寝惚(ねぼ)けた声で

「おはようございます。起床の時間です。」

の放送から毎朝あかねに気遣いながら

「起きれるんか?」

と耳元で囁(ささや)いていた。つい最近亡くなったおばあちゃんが飛び出して来そうだし、朝の点呼の後、みんなで駄弁(だべ)りながらのウォーキングは、小学校の夏休み、ラジオ体操の生き帰り、ふざけ合った友達を思い出し、ほのぼのとした気持ちに包まれる。生徒たちは毎朝、お客さんが出入りする玄関から登校する。日毎に違った音楽が校舎のすみずみまで流れていて、曲によったら、塞(ふさ)いでいた気持ちがぱっと晴れやかになったりする。先生達は裏の狭い通用門から身を細めて入って来る。今までの学校とはまるで逆で、何か申し訳ない気持ちがするけど、これがこの学校のよさなんだ。授業が始まる前、三階の畳(たたみ)に修練場で『生徒心得』を全員で唱和する。気持ちがのっている時は、大きく力強い声が出るが、そんな日は少ない。でも、指揮当番がまわって来て、みんなの前に立つ時は、どんなに落ち込んでいても、自分を奮(ふる)い立たせるしかない。

 

  『生徒心得』

一(ひと)つ、自らの天分を信じ、その発言に努める。

一つ、試練に耐え、不屈の精神力と金剛(こんごう)身(しん)を錬成する。

一つ、お互いがお互いの特性を認め合い善導(ぜんどう)し合う。

一つ、上級生は下級生の手本となり、下級生は上級生を見習う。

一つ、社会の弱者から目を逸(そ)らさない強さとやさしさを涵養(かんよう)する。

一つ、『自ら課題をみつけ、自ら学び、自ら考える』独修をとおして『生きる力』を養成する。

 

 この『生徒心得』をあかねはとても気に入っていた。やり始めた頃はみんなで大きな声をだして唱(とな)えるのはダサイかなと思っていたけど、やってみると、もよもやした気持ちがしゃんとして、唱和した後、何かすかっとする。煙草を吸った後のあの欺瞞(ぎまん)と罪悪感の入り交じった爽快感(そうかいかん)とは根本的に異なっていた。だから、みんなも嫌がらない。 

 

 ゴールデンウィークがやって来た。学校は休日と祝祭日の間のウィークデーを休校にして寮生を保護者の許に帰す指導をしている。この間は、日頃、寮に寝泊りしている教員達も息が抜ける時だ。寮生達は勇んで帰還の途につく。

 その夜、さなえは深夜バスで帰る友達を坂出まで見送りに行った帰り、電車が宇多津駅に着いた時、向かいのホームのベンチに腰掛け項垂れているあかねの姿が目に入った。慌てて飛び降り、階段を下り、反対側のホームに駆け上がった。

「あかね!何しよん?」

「・・・・・・・」

「帰らんの?」

「帰るとこないねん。」

「なんで?大阪に家あるやん。」

「あっても、うちのいるとこないんよ。」

「今夜はしすかのアパートに泊めてもわ

ん?うちも泊まるけん。」

「ほんま?ええの?うれしい。」

 しずかのアパートは、多度津の町内を流れ

る川の辺にあった。実家が高松の交通の不便なところにあったので、親が娘にアパートを用意した。家は江戸時代から代代酒屋を営む老舗(しにせ)で裕福な家柄で何不自由なく育ったが、小学校の頃、ひどいいじめに遭い、学校に行けなくなった。

「三人で泊まるの初めてだね!」

しずかはコンビニで買って来たばかりの弁当をあかねさなえに手渡しながら笑顔絵で言った。

 食事が終り、しずかが

「何飲む?」

と言うのとほぼ同時に、あかねが思い切ったように話し始めた。

「うちが小学校五年生の時、母ちゃんがいなくなったんよ。よう父ちゃんと口喧嘩して、家を出ていってたから、それっきり帰って来ると思ってたら、それっきり帰ってけえへんかった。ちょっとして、一度も見たこともない女の人が家に住み着いたんよ。父ちゃんは、新しいお母ちゃんやと言うけど、そんなこと急に言われても、どうしていいかわからへん。その女に子供が生まれたんや。父ちゃんは弟だと言うけど、母ちゃんとも思ってへん女から生まれた子供を弟とはよう言わん。父ちゃんとその女が子供をあやしているのを見てると、うちなんかおらん方がええ厄介者(やっかいもの)に思えて来たんよ。それから、自分でもわけがわからんようなって、悪いことようけして、気い付いたら少年院に入っていたわ。」

「そうなんや。大変やったんやなあ。うちみたいに、先生と喧嘩して中退するなんてあほみたいやな」

さなえは、しずかを促(うなが)すように言った。

「それからどうしたの?」

しずかはあかねを気遣うように、蚊(か)の鳴くような声で言った。

「岡山にいた母方のおばあちゃんが、迎えに来てくれて、二人で暮らしていたんやけど、この学校に合格した一か月後、死んでしもうたから、うち帰る家がないんや。」

「そやから、あかねは、いつも一太郎やあいのおばあちゃんばかり見よるんや。」

 さなえが口を挟んだ。

「一太郎やあい?」

 あかねが首を傾(かし)げると、しずかは目を丸くしてあかねを覗き込むように言った。

「あかねがいつも見ているおばあちゃんの銅像、一太郎やあいと言うの。」

「知らん。しずか、何で知ってるん?」

「休みの日、よく桃陵公園へ散歩に行くの。銅像の前にいわれが書いてあるよ。」

「どんないわれ?」

「日露戦争に出征する一太郎という息子を母親があの山の上で手を振って見送ったらしいよ。それがあの銅像。」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

「ええなあ、母ちゃんいてて。」

「・・・・・・」

「あかね!うちらがおるで。」

「あかね!さなえも私もいるからね。」

 

あれから三年の歳月が経ち、卒業式の日がやって来た。

 あかねは、おばあちゃんの遺産で高校を卒業し、京都の大学の文学部に入学することになった。高校三年間は寮としずかのアパートで生活し、しずかのおかあさんには大変世話になった。在学中文学好きの校長先生に勧められ応募した懸賞小説が入選したのをきっかけに文学に興味を持ち始めた。また、将来は国語の教師になる決意が固まった。

 さなえは、在学中アルバイトをしていたコンビニで知り合った人に接客態度を見込まれ、早々と冠婚葬祭(かんこんそうさい)の会社に正社員として採用された。

 しずかは、福祉関係の資格の取れる専門学校に入学が決まっている。

 教室の北側の窓からの眺望(ちょうぼう)は、三年前と何ら変わったところはない。しかし、生徒達はギラギラまぶしい程に光る春の瀬戸内海を目の当たりにしながら、想いは遥かかなたの未来へ飛んでいる。また、寮生達は、瀬戸大橋の向こうに来し方はなく、無限の夢を膨(ふく)らませている。

 

 あかねは、南側の窓辺から一太郎やあいのおばあちゃんとしばらく会えないと思うと、さみしさが急に込み上げて来た。

<おばあちゃん!うち大学行って勉強しっかりして、先生の資格を取って、また、この学校の先生になって戻って来るからな。待っとってや。> 

 おばあちゃんが笑っているようにも見える。

 おばあちゃんが心配しているようにも見える。

 おばあちゃんの目から涙が流れているようにも見える。

 おばあちゃんが何か叫んでる。

「一太郎やあい。」

 

 

「あかねやあい。